ダーリアンダイアリー

わたくしダーリアンの感じたことを、文字や写真、絵などで表現していきます。

今の暮らしとあれやこれ

メモを取ってあったのを、ざっくりと乱暴に書いてみた。

 

今の暮らし 6/15


僕は今岩手県のとある土地に住んでいる。湧き水からなる川と森に挟まれていて、小屋や畑、田んぼ、池、林、藪があるような、そんな環境だ。

大学を卒業して、縁あってここに来た。

就職もせずに、フラフラ迷い込んで来た。なぜ就職しなかったかというと、したくなかったから。素適な、僕にあった会社などは探せばいくらでもある気がする。けど、しなかった。何か(経済?お金?)を回していくことに、面白みを感じなかった。自分にとって、日本、世界、地球にとって、何かいい流れが生まれること。それが僕にとっては面白いことなんだと思う。
お金については、僕はまだ考えられていない。生活するためには、少なからずお金が必要なのは、たくさんの人から言われるし、僕もそう思う。実際、お金は便利だ。あるといい。ただ、自分でそれを生んでいくとなると、うまくできない。アルバイトもあんまりいいなって感じた職場はない。数えるほどしかないけど。
お金のためにとかではなく、やってることにお金がついて来てくれたら、嬉しいなと、能天気に思っている。今はほぼほぼ貯金はない。
僕が作ったフォトブックのドネーションと、先日のアースデイにアーティストとして参加した謝礼+ワークショップでいただいたドネーションだけ、ある。
あとは、僕が描いている絵を何かしらで貰っていただいたら、お金が増えるかもしれない。

普段の生活は住むところと食べ物を提供してもらっている。有難い。


こんなことをしていると、いろいろ感じたり考えたりする。そういうのをダーリアンダイアリーには書いていきたい。

ちなみに、今日思ったことは、ここは情報が多すぎるということ。
僕が弱っている(と思っている)ときには、うわぁーってなる。僕が僕のことを頭で認められていないとき、1人になりたいのに、1人になれない様なもの。人はエネルギーが強すぎると言うかもしれないが、そんな感じになる。

(生命の)存在を認識したくないと思う。でも、僕は漠然とここにいる。この土地の活気に身を包まれることを選択している。

でも、どんだけ落ち込んでいても、嫌とは思えない小川の流れる音や、鳥の声虫の声、風の音がしてくる。

そんな風に、過ごしている。

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隙間を生きていく?

大豆や陸稲を植える時に、すごい数のミミズが出てるくる。
小さい多足類とかミミズとか、彼らは土に吸い込まれる様にしていなくなる。それをみて、彼らにとってはそこに隙間があって、潜るあるいは隙間を進むのではないかと思った。
隙間を生きていく…
僕も同じなのかもなと。
第三者からしたら、道ではないところに、僕は隙間を見出し、そこに潜るあるいはそこを生きようとしているのかもしれないと。
人と同じ様になりたくない感はずっとあって、誰かが同じこと(行動だけでなく)をしていたら、それをやりたいなんて思わない。それに似た何か だったりする。
似た様なものの隙間を、進みたいんだと思う。

...うーん、
いや、そうじゃないんだ。そんなことどうでもいい。僕は僕のど真ん中を生きていきたいんだ

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なんか、この葉っぱのように生きたい。

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いただきますという言葉 6/18

僕はいただきますをする時に、たまに長く瞑想をする時がある。
いろいろなことを考えたり、無心になったりなんだけど、最近よく考えることがある。
それは、食材となったものは全部が全部生き物であり、彼らの命を、生きたであろう時間を、僕のこれからのエネルギーとしていただくことになる。そして、そのエネルギーを、僕はどう使っているのか、どう使っていきたいのかということ。そんなことを考える。

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今僕は、岩手のとある土地で、ろくにお金も稼がずに生活している。最近は絵を描いている。こんな僕でいいのだろうかとか、こんなエネルギーの使い方でいいのだろうかとか、思ってしまう。何かもっと…って。
別にやってることがダメとかじゃなくて、彼らに恥じないように、やってることに自信を持てたらと思う。今は探している感覚がある。言い聞かせるように、問い続けられるようにしたい。

 

僕は人間だから、そう考えてしまう。

 

彼らの命を僕の命(エネルギー)として使うのならば、どうせなら地球をもっと素適と思えるような、みんなで思えるようなことをしていきたい。地球からいただいた生なのだもの、地球に生命に、渡していきたい。

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『あなた達の命を、私たちの命として、いただきます』
徳島県神山町で教えてもらった、いただきますのフレーズ。

まさしくそうだ。
けれど、言葉にすることで、意味を持たなくなる気がしてならない。感じたものを言葉にすることに意味があるのではと思う。
つまり言葉を口に出すだけでは、あまり意味のあることでない気がする。

想いが乗っていないからなのかな。
例えば、"いただきます"のフレーズとして言葉が存在していて、それを言うだけでは違う気がする。別に正解がある話ではないのだけれど、僕は、できるだけ"言葉"に、自分の思いを込めて、あるいは自分の思いがこもった"言葉"を使っていきたいと思った。

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ねむいな。おやすみ。