お米を作った話
4月からのお山生活で、僕はお米をつくっていた。このお米づくりを通じて、本当にたくさんの喜びを味わうことができた。なので今回はそのことについて書きたいと思う。
お山の土地では、耕作放棄地を再び田んぼにしてから10年目であった。無農薬無肥料で、自分たちが食べるぶんだけ育てる。育たなかったら買おう!を合言葉に始めたらしい。
僕は田んぼというものに昔から憧れを抱いていた。名古屋育ちで自然があんまり無かった&たまに行くキャンプなどの自然体験に特別な楽しさを感じていた、ということで自然が好きな自分にとって、田んぼはいろんな生き物がいる"魅力が詰まった場所"という印象だった。
当時カエルを捕まえることが好きで、田舎に遊びに行った帰り際、「カエルが呼んでる!!」なんて言いながら田んぼの前で駄々をこねていたらしい。
そんなこんなで、憧れだったお米づくりに期待しつつ、僕とお米(田んぼ)との日々が始まった。
昨年の片付け
お米づくりの最初に取り掛かったのは、昨年度のはせの片付けと、稲わらをいかつい刃物でジョッキンジョッキン刻んで田んぼに撒く作業。
特に稲わらを刻む時の手応えが気持ちよい。
そしてなにより断面がとても綺麗だった。
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なんて綺麗なんだろうって、何度も思ってしまった。
また、微生物が分解して行く途中かなとか、土に還るのかぁとか、次のお米に繋がって行くんだろうなぁなどと想像し、その存在と、彼らが持つその流れに、美しいと思った。
美しさにはいろいろあって、できるだけ多くの美しさを感じられたら、なんて思った。
なんか陳腐に聞こえるかもだけど、"美しさ"の中身をちゃんと感じていきたいと思っている。
米粒を触る
昨年度のお米を種もみとして使えるものに分ける作業。
発芽しやすい種を見極めるものだ。
たらいに湧き水をいれ、塩をがばっと入れ、生卵がどのくらい浮くかで塩加減を確認して、軽い種を浮かせる。
なるほどーと感心しながらお米を触る。
浮いてしまった種が多くて、少し悲しくて残念な気持ちになった。
この種たちがどんな成長をするんだろうか!なんて思いながら沈んだお米を分けていく。
そんなに米粒を触ったことがないからか、そんな些細なことも新鮮で、実は嬉しかったのを覚えている。
種を撒く
これもまた楽しかった。
ふつうは育苗センターなどに任せるらしく、苗床をつくったりはしない。がここは違う。できるだけ自分たちの手でやるんだ。
土を敷いて水をかけて固めて、種蒔き機でチャラチャラ、パラパラして、覆土する。
だいぶ端折ったが、このパラパラとした音を僕は愛らしく思った。
湿っていて割と締まった土に種が落ちる小さな音。
一粒一粒が音を発して散らばっていく。
僕は変態なのだろうか、お米粒が奏でるメロディーを聴いて、無性に嬉しくなってしまう。
これはまだ言葉にできない感覚だが、新しいこの感覚を嬉しく思った。
今思えば、種一粒一粒にもちゃんと重みがあって、そのあたり前だけど実際体感しにくいものを感じられた喜び?頭ではわかるけど身体を通して感じること=体感できたことが嬉しかったんだと思う。
多分このとき感じた感覚に似ている。
君にも重みがあるんだと、ちゃんと目の前にいて、土や雪と関係しあっていること。それ故に僕の中で彼らの存在が色濃くなったこと。これがなんとも言えない嬉しさを生んだのだろうか。
続きは
お米を作った話 2 で🌾