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ダーリアンダイアリー

わたくしダーリアンの感じたことを、文字や写真、絵などで表現していきます。

気持ち良さと切なさ

踊子草が、黄色くなっていた。


日中もカエルの声がする。
とても嬉しい気持ちになった。
お昼にも彼らの存在を確認できる、
認識できること。
それが僕の中で彩りに変わり、
嬉しく思ったのかな。

 

桑野葉っぱは本当に不思議な形だ。
この変化を見ていたい。

 

草刈りをして、代掻きをしたお山。
それもまた美しかった。
気持ち良いのが当たり前で、
その先の気持ち良さを探そうとしている僕。

なんて贅沢なのだと思ってしまう。

 

風や小川の流れる音、鳥のさえずり、草木と太陽、桑の実の形、藤の紫、育つ稲。

 

空を見上げれば、岩手山が少し顔を出し、青空に映える雲が壮大だ。

 


美しくって、たまらない。

 


こうやってその場に立ち止まるだけで、

僕はたまらなくなる。

立ち止まるからこそ、

歩きたい方向がわかる気がした。

 

僕は座り込む。
ミクロな視点がたくさん見えてくる。
気づかなかった存在や営みに出くわす。
これも僕には大切なこと。

 

 

でも、なぜか切ない。

 

 

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photo by dali 

なんだかいい日だったです

ハルジオンが咲いていた。ハルジオンって僕らが呼んでるだけで、君たちの本当の名前は、名前の概念すらないのかもしれず、言葉とは違う何かを生きているのかもしれないけれど、僕たち人間の視点で、ハルジオンって呼ぶね。

君は西洋ナバナ。西洋から来たのかな?起源なんて、ごちゃまぜでもいいのかもね。いい悪いなんてないのかもね。
西洋タンポポだ。君もか。クマザサもいるね。ギシギシも、名前のわからない君もいる。たくさんの生き物が僕の周りに存在していて、目には映らない存在を想像するだけで、ワクワクする。
この土なんかも、生物だらけなんだよな。
この土は昔の人が田んぼとして作ってきた土だとすると、僕らもなんら生物と同じというか、景観や生態系を作っているんだなって、嬉しくなるよ。(人間は破壊してる方だと思ってしまうだろうけど。思わないのもどうかと思うけど。)
そして、この生物、生命たちがいて、僕がいて、そんな今は最先端なんだな。地球が生まれてから最先端な今を、共に生きているんだよね。すごいことだと思うんだよね。でも、僕も彼らも、死んでしまう。死ぬことは、当たり前のこと。唯一の事実。僕ら側から見た事実。
もっと先の未来では、時間なんて移動できるのかもしれないけど。
僕らは、今という時間を積み重ねて、この時代に、彼らと一緒に死んでいくひとつの存在なんだよね。それは素晴らしいことだと思う。けど、なんだか切なさを感じる。でも、その切なさを、喜ばなくちゃね。

僕らの生きる目的は、なんなのだろうか。今の僕の中の答えは、たくさん感じること。幸せになるとか、ちっぽけだ。そんなの幸せに決まってる。そんな言葉なんかにしないで、もっとその「幸せ」とか、「愛」「夢」「喜び」とかの中に詰まったものを、その言葉を超えて、感じたい。それに落ち着くのは、もう当たり前のことなんじゃないかな、今の僕的には。だから、その先の何かわからはいものを、掴みにいきたい。そして、何度も愛に辿り着きたい。それまでとは違った僕だけの愛に

 

 

 

 

【今日出会ったもの。】

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田んぼ見てたら虹に気づいた

 

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柳絮によって地面がふかふかになる。

 

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彼の死に様はとてもかっこいい。 

 

 

もやもやふつふつ

しみじみと

三日間共に過ごした人と別れた最初の夜は、想像もつかないほど、寂しかったのかもしれない。

 

あまり意識はしていなかったものの、別れの時間が近づくにつれ、僕は寂しさを漂わせていたらしい。

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しかしながら、僕はこの「1人山の小屋にいる」ことを、この状況を、とっても嬉しく望んでいるような気がしてしょうがない。自分にとって、この生活はすごく大切な時間だと、どこか深いところで、あるいは真ん中、芯のところで感じているからなのだろう。

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いつからか受動的な僕は、よく優しいと言われる。それは、僕はあまり否定しないからなのだろう。良い悪いなんて人それぞれだと思っていて、そこは共感だったり、ただ認識することで、良い悪いを感じない。というか、それを含めて、広義な意味で良いと感じてしまう。


また、僕は人の素適なところをみつけるのが得意なのかもしれない。いや、そもそも、素適な人が周りに多いのかはわからない。
どっちにしろ、そう感じてしまう今は、とても幸せに溢れているなあと、しみじみとしている。

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田んぼの水路を眺めながら、オタマジャクシの様子を見ていた矢先、目の前が真っ白に輝いた。桜だった。

標高の高さなどで、待ちに待ったお山の桜は、ようやく咲き始めていた。

凛としていて、僕は1人じゃないことを、教えてくれた気がした。

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たくさんの生命に満ち溢れ、

今日も、彼らとの時間を感じていく。

 

刻まれていく出会いと時間

僕はメモをよくとる。

昨日感じたこと、感じたままのメモを、生々しく残しておく。

 

夜、岩手の紫波サービスエリアからヒッチハイクし、有難いことに3台で、昨日名古屋に着いた。

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名古屋駅から8キロほど歩き実家に着いた。そんな日のメモ。

 


優しさのシャワーを浴びたような、そんな時間だった。#ヒッチハイク


思った通りにやれ!!とことんやれ!そうやって、背中を押してくれる人に出会える。本当に、ありがたい。

 

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愛ちゃんが、素適な人と出逢った。いいね!!あなたの僕に向けていた素適な笑顔が、そこに見られて嬉しく思う。


僕は、燃えているか
僕の命は、燃えているか

燃やしていこう
表現していこう

腹からよじれ蠢(うごめ)かせ、粉々に、強固に、僕で在れ

愛する喜びを、愛を超えて

僕の世界を、僕のものに、僕に狂え。

ああ、僕なんていなくなれ

僕の薄れゆく気持ちとともに、彼女の気持ちも薄れゆく。そんなものさ。

「自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ」

ぼくは守れているだろうか
いや、壊して、作って、穴を開けて、舐めてみて、ぼくの感受性を解き放す 否、解き放っている
よりリアルに、マジな、オレを

もう一度ぼくに投げ掛けよう。
そのまま行け。突っ走れ 嘆け苦しめ愛しまくれ

そんなことを思う、名古屋、伏見間。
(今も不思議な気持ちで、嬉しさや、自分と向き合うことを、余儀なくされる感、そんな不思議な感覚を味わっている)

 


額縁屋の女性と仲良くなった。
仲間とともに夏は会津インスタレーションをしてるらしい。美しい女性だった。

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(この絵の額縁を買いに)

 

都会に佇むケヤキの木
僕は白川公園ケヤキの様に生きられないなって思った。思ってしまった。
こんな都会の真ん中を、生きていくこと。
堂々と生きている様に見え、何か尊敬の眼差しで眺めていた。
僕はそれを避けているのか。だから岩手にいるのかもしれない。

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ホームレスのしんどうさん。
あったかいですね!そうやって始まった会話は、とても自然で心地よかった。
今ある生活を、しあわせであると言っていた。
どこかを見つめるその目は、何か美しいものをみているかの様に澄んでいた。
夕陽に染まるケヤキが、とても綺麗だった。

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しんどうさんは、雨の日はこのベンチで生きているらしい。

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このベンチの後ろ側には、楽園が広がっていた。表現者が住んでいた。

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今の僕には、今日のたくさんの出会いが刻まれている。

生命の輝き

(生命の)存在を認識する という行為、営みは、豊かさにつながると思っている。豊かな今を生きることにつながる。そう思っている。

 

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身の回りに目を向けると、生命に溢れ、たくさんの宇宙がそこにあることに気づく。それぞれの事情や、然らしむるさま、そんなものが、存在美となって僕の前に現れる。

 

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「地球の素晴らしさは生命の輝きにある」
レイチェル・カーソンの言葉で、今ど真ん中に好きな言葉だ。

 

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僕はたびたび、生命の存在を認識したあと、意識が地球へと広がっていくのを感じる。

 

僕も彼らと同じように今生きている。たくさんの生命に囲まれて、生命だらけの地球の上に、生命の営みにより、今生き、生かされている。

 

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そんなことを考えると、どうしようもないくらい今が輝かしくて、嬉しくて、一瞬にして僕の見る世界は彩り、そして愛に溢れていくような感覚を覚える。地球に今いる喜びを、噛み締めているように。

 

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そして、地球という大きな生命として、ひとつである。そう感じずにはいられない。

 

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このような感情(状態)は、センス・オブ・ワンダーの例えである『喜び以前の純粋状態』ならぬ、『喜び以降の純粋状態』に包まれているということだと思った。
感性を認識し、僕の知性が入り混じった、その先の状態。

僕らは言葉の生き物であるので、感覚を"喜び"のような言葉に当てはめてみたけれど、当てはめたところで意味をなさない、必要のない状態。

喜び以前以降どちらも、僕は心の底から大切にしていきたい。そう改めて思った。

 

 

 


地球の素晴らしさは、生命の輝きにある。

 

 

 


僕らも、輝き合う世界へ

 

 

#地衣散歩 @安曇野

安曇野で出会うべくして出会った地衣類を紹介します。

 

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生活感丸出しなプライベートを覗いてしまった感じ。

 

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荒れ果てた地球みたい。けれど、そこにも美しさがある。今を咲き乱れる花 そんな感じ。

 

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繊細な造形美。

海の中みたいな、星雲みたいな、そんな姿に惚れる。

 

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彼らが創りだす世界、そして彼らに、憧れのようなものを抱く。

Life is Art .

生きているということ。

 

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何か人工的で、少しもやもやしてしまう。なぜだろう

 

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"美"という言葉を超えた 

いや、"美"という言葉以前のもの。

それは センスオブワンダー という感性

#喜び以前の純粋状態  

 

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彼らの世界

 

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#色違い #双子 

 

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ユニバース

ここは宇宙

 

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彼らの世界 

雨が降ると、より生き生きするのだろう。そんな景色を彼らを、またいつか見にいきたい。

 

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壁面緑化 

自然な味わいが落ち着く。

 

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黄色い侵略者たち

"色を持つ"ということに、誇らしさを感じた。確実に色付けていく彼らの営み。

 

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僕が地衣類を探して散歩しているというよりは、地衣類が人間に見られている。そんなことをふと思う。

 

 

僕は安曇野がすごく好きです。

 

 

#地衣散歩

#地衣散歩 とは、 地衣類を探してしまう散歩のことです。

#地衣類 とは、藻類と菌類の共生体で、苔みたいな生き物です。

 

僕はなぜだか、地衣類が好きです。

はびこりというか、芸術性というか、まさに Life is Art を体現しているように思うのです。

 

自然は、存在しているだけでアートだと思うのですが、その存在を認識しない限り、アートではないのかもしれません。しかし、なぜだか地衣類の存在を、とても意識してしまう、認識してしまうのです。

 

僕は、彼らが創りだす世界、そして彼らに、憧れのようなものを感じます。

それがなんなのか、まだわからないし、わからなくてもいいようにも思います。

むしろ、わかること、つまり言葉で理解することは、何か陳腐に見えてしまうのではという恐れにつながり、わかりたくないとさえ思います。

 

しかし、誰かに伝えたいし共感もしたいのです。

だから、抽象度が高くなってしまうかもしれないですが、僕が感じたことを、言葉として咀嚼し、表現してみたい。しかし、その言葉に紛らわされず、そこに込められた何か目に見えないエネルギーみたいなものと一緒に、僕が伝えたいものを感じ取っていただけたら、とても嬉しいと思っています。