ダーリアンダイアリー

わたくしダーリアンの感じたことを、文字や写真、絵などで表現していきます。

お米を作った話

 

4月からのお山生活で、僕はお米をつくっていた。このお米づくりを通じて、本当にたくさんの喜びを味わうことができた。なので今回はそのことについて書きたいと思う。

 

お山の土地では、耕作放棄地を再び田んぼにしてから10年目であった。無農薬無肥料で、自分たちが食べるぶんだけ育てる。育たなかったら買おう!を合言葉に始めたらしい。

 

僕は田んぼというものに昔から憧れを抱いていた。名古屋育ちで自然があんまり無かった&たまに行くキャンプなどの自然体験が非日常な楽しさがあった、ということで自然が好きな自分にとって、田んぼはいろんな生き物がいる"魅力が詰まった場所"という印象だった。

当時カエルを捕まえることが好きで、田舎に遊びに行った帰り際、「カエルが呼んでる!!」なんて言いながら田んぼの前で駄々をこねていたらしい。

 

そんなこんなで、憧れだったお米づくりに期待しつつ、僕とお米(田んぼ)との日々が始まった。

  

 昨年の片付け

お米づくりの最初に取り掛かったのは、昨年度のはせの片付けと、稲わらをいかつい刃物でジョッキンジョッキン刻んで田んぼに撒く作業。

特に稲わらを刻む時の手応えが気持ちよい。

そしてなにより断面がとても綺麗だった。

 

https://www.instagram.com/p/BTOf9ovlPii/

お米を育てる準備#稲藁 #藁 #稲 #米 #お米 #田んぼ #断面 #彩 #彩り #rice #green #colorful #nature #naturelovers #iwate

なんて綺麗なんだろうって、何度も思ってしまった。

また、微生物が分解して行く途中かなとか、土に還るのかぁとか、次のお米に繋がって行くんだろうなぁなどと想像し、その存在と、彼らが持つその流れに、美しいと思った。

 

 美しさにはいろいろあって、できるだけ多くの美しさを感じられたら、なんて思った。

なんか陳腐に聞こえるかもだけど、"美しさ"の中身をちゃんと感じていきたいと思っている。

 

米粒を触る

昨年度のお米を種もみとして使えるものに分ける作業。

発芽しやすい種を見極めるものだ。 

たらいに湧き水をいれ、塩をがばっと入れ、生卵がどのくらい浮くかで塩加減を確認して、軽い種を浮かせる。

なるほどーと感心しながらお米を触る。

浮いてしまった種が多くて、少し悲しくて残念な気持ちになった。

この種たちがどんな成長をするんだろうか!なんて思いながら沈んだお米を分けていく。

 

そんなに米粒を触ったことがないからか、そんな些細なことも新鮮で、実は嬉しかったのを覚えている。

 

 

種を撒く

これもまた楽しかった。

ふつうは育苗センターなどに任せるらしく、苗床をつくったりはしない。がここは違う。できるだけ自分たちの手でやるんだ。

土を敷いて水をかけて固めて、種蒔き機でチャラチャラ、パラパラして、覆土する。

 

だいぶ端折ったが、このパラパラとした音を僕は愛らしく思った。

湿っていて割と締まった土に種が落ちる小さな音。

一粒一粒が音を発して散らばっていく。

僕は変態なのだろうか、お米粒が奏でるメロディーを聴いて、無性に嬉しくなってしまう。

これはまだ言葉にできない感覚だが、新しいこの感覚を嬉しく思った。

 

今思えば、種一粒一粒にもちゃんと重みがあって、そのあたり前だけど実際体感しにくいものを感じられた喜び?頭ではわかるけど身体を通して感じること=体感できたことが嬉しかったんだと思う。

https://www.instagram.com/p/Bct67Uylz9N/

雪の上になんとも暖かそうな集団がいた。彼らが着地したであろう雪上に凹みがあって、綿毛の重さなのか暖かさなのかを見ることができた。#seeds #snow #nature #naturelovers #綿毛

多分このとき感じた感覚に似ている。

君にも重みがあるんだと、ちゃんと目の前にいて、土や雪と関係しあっていること。それ故に僕の中で彼らの存在が色濃くなったこと。これがなんとも言えない嬉しさを生んだのだろうか。

 

 

続きは

お米を作った話 2   で🌾

18.1.16 ニート生活

お山生活を経て、今は実家で絶賛ニートをしている。

 

そんな生活をしていると、働きたい欲 みたいなものがうまれる。人の役に立ちたいというか、そんな欲求がうまれる。

 

ニート歴1ヶ月も経っていないけれど、

なかなかにメンタルがやられる日々を過ごしている。

 

https://www.instagram.com/p/Bd9fyujFMUq/

そんな姿見せられたら…ってなる#nature #naturelovers #green #leaves #leafs

 

僕は植物が好きで、よく写真を撮っている。

けれど、何もしていない今 (いや、絵を描いたりご飯食べたり生活しているけど…) に自信がない僕には、煌びやかに、美しく僕の目に映った彼ら(植物=自然)を前に、さらに自信を無くす状態に陥っている。

 

 

好きな友達と電話していても、楽しいはずなのに、

「そんなに優しく喋りかけないでくれ。
そんなに楽しそうに話さないでくれ、僕は、今とても醜いんだ。」

なんてメモをしてしまうくらい、落ちてしまっている。

 

 

でもそんな中、SNSは良いなぁって思うことがある。

例えば 僕の好きな坂爪圭吾 さんのブログは、僕を良い感じにしてくれる。

なんていうか、彼の言葉、そして生き方そのものが、僕に安心感を与えてくれているような気がする。

大げさにいったら、彼の言葉を通して、僕が大切だと思うことに気づくことができる。

 

 

 

いろんな情報やいろんな人たちの生き方を見ていくと、僕の忘れかけていた熱さみたいなものが垣間見える瞬間がある。そういう熱さを、僕は今大事にしたい。

最近わかったことは、自分は、出し惜しみしたくないと思っているということだ。

自分を楽しませることに出し惜しんでいる自分をダサく思う。

だから、せめてこのぐちゃぐちゃした頭の中を、このブログを通して出していけたらと思っている。

 

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 自分をもっと出していこうと思う。

 

 

改めて、ダーリアンダイアリーをよろしくお願いします。

8/1 @散歩

 

 

ミズキの実の上の方が 赤くなり始めた。

 

相変わらずに、川の横は涼しくて気持ちのいい匂いがする。風と音と匂いに包まれる。

 

ヨモギも僕の背丈よりはるかに高くなってきた。

 

今日の風と日光は、寝起きで少し火照った僕にはとてもちょうどいい感じだ。

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赤とんぼの赤。太陽の光を背中から浴びて、濃く、どこか"透明感という言葉の響き(いわゆる透明では無いがピュアな感じ?振動とか響き)"を感じさせる。

 

写真にしてしまうと、陳腐になる気がするし、言葉にしても、そうなるときがある。要は納得できるかどうかだ

ここは、もっと努力したいところ。

 

 

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田んぼに若い栗の実が沈んでいた

 

 

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水滴を捕まえた蜘蛛
蜘蛛の巣に捕まった水滴

 

 

ウツギの実は、赤くなるやつは赤くなり、膨らむやつは膨らんで、枯れて行くやつは枯れていった


まだオタマジャクシが泳いでいて、どこか安心する自分がいた。

 

いろんな色、形、拡がり方を持つヨモギがいる。赤やオレンジに紅葉したもの、葉を一枚ずつつけるもの、四股になって伸びていくもの、青みを帯びた、強そうなもの。

いろんなやつが、いるんだ。

 

 

僕は「しゃがみ込んで初めて見える世界」が好きだ。

 

歩いてちゃいけない、そう思って、そう身体が反応したみたいに僕はしゃがんだ。頭で考えるより、身体が先に反応した。

 

しゃがみこむことで、同じ目線になれて、いろんなものと出会っていく。

 

君はフキだ!まだ土から顔を出したばかりのフキを見て、心の中で発見した喜びとともに叫んでしまった。けれど、彼のこれからの未来、可能性を決めつけ、他者の僕から未来を提示?してしまう、そう思ってしまうことに、何か違和感を覚えた。

僕も、嫌だからだろう。君は未来の科学者だ!とかなんとか言われても、嫌だっ!となる。もっとわからないものに満ちていてほしいと、そう思っているからだろうか。
だから、僕は言い直す。
君はきれいだ 。

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こうなってしまったら、もうなんというか、そういう世界に入ってしまう。
目に入る全てが、愛おしくなる。もちろん僕も同じくらいに。僕はそれを浴びるだけの、人になってしまうみたいだ。


セリの茎の模様が好きだ。茎が三又になって、その養分とか水とかが流れ渡る、その拡がりが好きだ。それを僕はうまく言葉にできない。だけど、たとえそういう時の言葉があったとしても使いたく無い。そういう感じの"好き"だ。

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すごく葉っぱはかっこいいけど、こんな美しい花を咲かすのか!そういうギャップとかに、弱いかもしれない。
なんて甘い色をしているのか。

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なんてちょうど良い葉っぱ、それから花、茎、芽、色、かたち、模様、揺れ方光の受け取り方をしているのか。
なんで、ちょうど良いと、感じてしまうのか。

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深い、人間のシワと同等の深みを持つ。
全く生き方や時間は違うけど、深みは同じようなものを持っていた。

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地衣類にばかり目がいっていたが、
木自身の肌に触れた。どんな質感をしているのか、柔らかさ、暖かさ、冷たさとか。木肌と水が混ざるような、湿気をまとい、柔らかさを持ち、そこにいてくれる。次はどんなものが、君と僕との間で起こるのか。


シダが真上を向いて、伸びている。
いつも垂れてるイメージだったから、新鮮で、違う一面をみれた気がして、嬉しくなる。

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地衣類に目をやるときに、僕はなぜだか呼吸が変わる。ゆっくりと、呼吸をしてしまう。

 

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きのこ、こけ、ちい

この木を飾り彩るものに、なぜだか惹かれる。

 

 

もう8月か 

7/19メモ 東京から帰ってきて

一個一個が、食事や散歩、水汲みなどが、本当に良すぎるというか。


彼ら の存在を感じて、その中で食べている、歩いている、水を汲んでいる。


はぁって。

 

土を踏むこと、匂いに包まれること、太陽を浴びること、冷気を感じること、鳥の声川の音を意識すること、草木が揺れていること、光を浴びていること、空があるということ。

そういうことに、意識を向けられるということ。

  

自分の経験と、そこで起こっていることの化学反応。

 

これがオリジナリティになる。大切にしたい部分。


であるから、まずはその起こっていることを認識する、あることを認めることが、大切になる。

 

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拡がり (写真多め)

柳の木を見上げていたら、なぜだか急に笑顔になってしまって、込み上げてくる感情を認識した。愛おしさのようなもの。触らずにはいられなかった。

 ぼくと柳との関係が、また1つ生まれだ日だった。

 

 

 

いろんな葉っぱが顔を出し、それに花がつき、気づいたら実がなっている。
君は、こんな花をつけて、こんな実をならすのか!って、ほんの少し知れた気がして、嬉しくなる。
1日の間に大きくなるものや、全然変化がないもの。
もっと彼らと、時間を共にしていこうと思う。

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花は綺麗だ。花には、いつの間に咲かせたんだ!とか、まだ咲かないのか!とか、そういうことを思わされる。そして、どんな花でも美しい。

 

だけど、花だけが美しいのではないと思う。なんていうか、その植物の成長と共に形や表情を変えていく様や、その流れとか、露をつけたり夕暮れに染まったりする様、てんとう虫に歩き回られるヨモギの姿の様な、他の生物との関係によって在りようが変わる様など、彼らの生、営み自体が、美しいと思う。

僕にとって、君たちがいることが、美しいことなんだ。

自分を含めて、美しさがある。そんな気がした。

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自分の中の花

四方八方に葉や根を拡げ、四方八方にタネを飛ばす。この拡がりはとても美しいと思う。その拡がりが、僕にとって広義の花だと思っている。地衣類も、そうなのかもしれない。

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だから僕の絵は、花のような草木のような、拡がるもの、つまり広義の花、僕だけの花がモチーフになっているのだと思う。

僕は絵を描く行為の中で、拡がりを描きたいんだと思う。

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大好きな歌 花~すべての人の心に花を~ が聞きたくなる。

心の中に〜心の中に〜花を咲かそうよ〜♪

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明るく広く

僕の名前は明広。

明るく広い心をって、両親からもらった名前。これが、生まれてから史上最高のプレゼントだと思っている。

すごく自分の名前が好きだ。

 

恒星が光るように、明るく暖かく、広がっていく氣がして好きだ。 

爆発してるみたいな、花のようだ。

宇宙は真っ暗が広がってきた。

明るく広がっていくものは、なんなのだろう。探していきたいなって、思っている。

明るく広い心も持ちたいし、

明るく広がっていきたい。

明るく広い何かを、僕を、追っていきたいと思う。

明広になりたい。明広でいたい。

僕が思う、明るく広いものを、生きたい。

 

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僕は拡がりに興味がある。

今の暮らしとあれやこれ

メモを取ってあったのを、ざっくりと乱暴に書いてみた。

 

今の暮らし 6/15


僕は今岩手県のとある土地に住んでいる。湧き水からなる川と森に挟まれていて、小屋や畑、田んぼ、池、林、藪があるような、そんな環境だ。

大学を卒業して、縁あってここに来た。

就職もせずに、フラフラ迷い込んで来た。なぜ就職しなかったかというと、したくなかったから。素適な、僕にあった会社などは探せばいくらでもある気がする。けど、しなかった。何か(経済?お金?)を回していくことに、面白みを感じなかった。自分にとって、日本、世界、地球にとって、何かいい流れが生まれること。それが僕にとっては面白いことなんだと思う。
お金については、僕はまだ考えられていない。生活するためには、少なからずお金が必要なのは、たくさんの人から言われるし、僕もそう思う。実際、お金は便利だ。あるといい。ただ、自分でそれを生んでいくとなると、うまくできない。アルバイトもあんまりいいなって感じた職場はない。数えるほどしかないけど。
お金のためにとかではなく、やってることにお金がついて来てくれたら、嬉しいなと、能天気に思っている。今はほぼほぼ貯金はない。
僕が作ったフォトブックのドネーションと、先日のアースデイにアーティストとして参加した謝礼+ワークショップでいただいたドネーションだけ、ある。
あとは、僕が描いている絵を何かしらで貰っていただいたら、お金が増えるかもしれない。

普段の生活は住むところと食べ物を提供してもらっている。有難い。


こんなことをしていると、いろいろ感じたり考えたりする。そういうのをダーリアンダイアリーには書いていきたい。

ちなみに、今日思ったことは、ここは情報が多すぎるということ。
僕が弱っている(と思っている)ときには、まわりの存在にうわぁーってなる。僕が僕のことを頭で認められていないとき、1人になりたいのに、1人になれない様なものだ。人はこの場をエネルギーが強すぎると言うかもしれないが、そんな感じになる。

(生命の)存在を認識したくないと思う。でも、僕は漠然とここにいる。この土地の活気に身を包まれることを選択している。

でも、どんだけ落ち込んでいても、嫌とは思えない小川の流れる音や、鳥の声虫の声、風の音がしてくる。今この瞬間にいられることが、落ち込みなんかを遠退ける。

そんな風に、過ごしている。

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隙間を生きていく?

大豆や陸稲を植える時に、すごい数のミミズが出てるくる。
小さい多足類とかミミズとか、彼らは土に吸い込まれる様にしていなくなる。それをみて、彼らにとってはそこに隙間があって、潜るあるいは隙間を進むのではないかと思った。
隙間を生きていく…
僕も同じなのかもなと。
第三者からしたら、道ではないところに、僕は隙間を見出し、そこに潜るあるいはそこを生きようとしているのかもしれないと。
人と同じ様になりたくない感はずっとあって、誰かが同じこと(行動だけでなく)をしていたら、それをやりたいなんて思わない。それに似た何か だったりする。
似た様なものの隙間を、進みたいんだと思う。

...うーん、
いや、そうじゃないんだ。そんなことどうでもいい。僕は僕のど真ん中を生きていきたいんだ

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なんか、この葉っぱのように生きたい。

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いただきますという言葉 6/18

僕はいただきますをする時に、たまに長く瞑想をする時がある。
いろいろなことを考えたり、無心になったりなんだけど、最近よく考えることがある。
それは、食材となったものは全部が全部生き物であり、彼らの命を、生きたであろう時間を、僕のこれからのエネルギーとしていただくことになる。そして、そのエネルギーを、僕はどう使っているのか、どう使っていきたいのかということ。そんなことを考える。

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今僕は、岩手のとある土地で、ろくにお金も稼がずに生活している。最近は絵を描いている。こんな僕でいいのだろうかとか、こんなエネルギーの使い方でいいのだろうかとか、思ってしまう。何かもっと…って。
別にやってることがダメとかじゃなくて、彼らに恥じないように、やってることと自分自身に自信を持てたらと思う。今は探している感覚がある。言い聞かせるように、問い続けられるようにしたい。

 

僕は人間だから、そう考えてしまう。

 

彼らの命を僕の命(エネルギー)として使うのならば、どうせなら地球をもっと素適と思えるような、みんなで思えるようなことをしていきたい。地球からいただいた生なのだもの、地球に生命に、渡していきたい。

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『あなた達の命を、私たちの命として、いただきます』
徳島県神山町で教えてもらった、いただきますの言葉。

まさしくそうだ。
けれど、言葉にすることで、意味を持たなくなる気がしてならない。感じたものを言葉にすることに意味があるのではと思う。
つまり言葉を口に出すだけでは、あまり意味のあることでない気がする。

想いが乗っていないからなのかな。
例えば、"いただきます"のフレーズとして言葉が存在していて、それを言うだけでは違う気がする。別に正解がある話ではないのだけれど、僕は、できるだけ"言葉"に、自分の思いを込めて、あるいは自分の思いがこもった"言葉"を使っていきたいと思った。

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ねむいな。おやすみ。

みどり

日に日に姿を現してくる数えきれない緑色を目にし、僕はどうしようもなくなる。

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何もできない僕自身に対しても、どうしようもなくなる。

 

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絵だけは描こうと思った。